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 普天間基地撤去を求める高校生の会

米軍基地問題は、何が問題なのだろう




   ◇基地はいつできたか


  第二次世界大戦時、大日本帝国は中国大陸に侵攻しつつ、同時に真珠湾を奇襲し、アメリカに対しても戦争を仕掛けました。しかし、威勢がよかったのは最初だけでした。大陸では泥沼の長期戦に陥り、一方太平洋ではアメリカに負け続けました。多くの拠点を奪われ、本土も危うくなっていました。

  そのような状況の中で、日本側は本土決戦に備えて時間を稼ぐため、沖縄を捨て石にします。1945年3月、米軍が沖縄慶良間諸島に上陸。その後、沖縄各地で地上戦が繰り広げられます。

  鉄の暴風と呼ばれるほど、激しい戦闘になりました。住民も容赦なく巻き込まれ、強制集団死といわれるような事態も発生しました。結果として20万人以上の人が亡くなったとされています。ですが、日本軍は敗北し、結果的に、沖縄はアメリカに占領されます。

  その後、さらに米国による二度の原爆投下がありました。

  1945年8月14日、大日本帝国は連合国軍に降伏し、第二次世界大戦が終結。GHQ(アメリカを主体とした占領軍)による占領統治が始まります。そのとき、沖縄は日本から切り離され、米軍による支配を受けることになりました。その後、サンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約が締結され、日本は独立していきます。しかし、沖縄は置き去りでした。

  1953年4月、米軍は土地収用令を発令します。沖縄住民がいない間に勝手に占有してしまったり、沖縄住民を銃剣で脅し、無理やりブルドーザーを押し通したりして、沖縄の人たちの土地を強引に奪っていきました。そうすることによって、アメリカは基地をつくっていきました。背景にあったのはソ連との冷戦です。二国間の対立の中で、日本や沖縄が「反共の砦」になったのです。

  だけど、沖縄の人たちも黙ってはいませんでした。「島ぐるみの土地闘争」(基地反対運動=祖国復帰運動)を繰り広げ、やがては、祖国復帰にまで結び付けていきました。1972年5月、沖縄は、アメリカから日本に返還されます。しかし、数多くの米軍基地が残ったままでした。米軍飛行機による騒音や、米兵による犯罪が絶えませんでした。それらの問題は尾を引きます。



   ◇普天間基地の問題


  1995年、沖縄に駐留していたアメリカ軍海兵隊の兵士3名が、12歳の少女を拉致し、暴行を加えました。しかし、その兵士たちを日本側が逮捕し、起訴することはできませんでした。日米地位協定があったからです。

  沖縄の県民たちは、怒り、立ち上がり、米軍基地の縮小撤廃を求めていきました。中でも、とくに問題になったのが、普天間基地です。市街地に隣接しているため、「世界で最も危険な基地」などと呼ばれることもあります。

  普天間基地をそのままにはしておけない、と沖縄の人たちは言いました。そして、日米両政府もその言葉を受け入れ、普天間基地の撤去に同意したため、海兵隊はグアムなどへ移転することになりました。

  しかし、アメリカは、自分たちの利益にかなう「再編」を行おうとしました。米軍は、グアムに移転するとき必要となる費用の59%(約60億9千万ドルと見積もられている)を、日本側に求めました。

  さらに、グアムに移転するはずだった海兵隊の一部を、日本に残そうとして、日本側に普天間基地の代替施設を求めました。普天間基地返還の問題が、普天間基地移設の問題に入れ替わってしまいます。沖縄県名護市辺野古が、代替施設を設置するための候補地になりました。だけど、辺野古には、ジュゴンがすむきれいな海があります。住民の人たちも座り込み、基地建設に反対しています。

  その意を汲んだのか、鳩山元総理は「最低でも県外、できれば国外」といいました。そして、辺野古以外の場所に米軍基地を移せないかどうか検討したようです。しかし、結局自分の言葉を守ることが出来ず、辺野古に基地を設置することに決めてしまいました。その変節を非難することは容易です。

  しかし、それでは問題が解決しません。

  内田樹という思想家は、複雑な問題(根底には、「日本がアメリカの軍事的属国」だという事実がある)なのに、そのことを日本のメディアは取り上げず、属人的無能(鳩山元総理の力不足)に原因を求めるけれど、それでは普天間基地の問題が解決することはない、と指摘します。

  普天間基地のことだけを眺めるのではなく、日米軍事同盟の総体を見ていくべきなのです。

  現在、日本は軍事面のみならず、様々な面において、アメリカの言葉を受け入れています。たとえば、郵政民営化もアメリカの後押しがあったから、行われました。しかし、軍事面における日本の「属国化」はとくに顕著です。最近、軍事的な一体化がすすんでいるといわれますが、米軍の中に自衛隊が組み込まれようとしています。

  そして、沖縄の米軍基地から、ベトナム、あるいはアフガニスタンやイラクに向けて戦闘機が飛び立っています。沖縄が、米軍の最前線基地になっているのです。憲法で平和主義を尊重すると宣言している日本が、米軍に協力しているわけです。

  本来ならば、日本国憲法との整合性が問題になるはずです。明らかに、ねじれています。しかし、戦後が始まったときからそうでした。そのねじれは、GHQによる占領統治の時代に生まれた日本国憲法と、日本独立のときに締結された日米安全保障条約が矛盾しているが故に生まれたものなのです。

  そのねじれを、バサッと解決することは、多分、誰にもできません。だから、誰かに全責任を押し付けるのではなく、その問題に関与している誰もが考えていかないといけないのです。事実を理解した上で。



   ◇基地の意味


  日本独立のときから存在しているねじれなどを踏まえた上で、米軍基地の有用性を、今一度再考する必要があると多くの識者が発言しています。そのとき、問題になるのは、たとえば、思いやり予算や基地自体の意味です。

  米軍基地に対して、日本は思いやり予算を払い続けています。1978年から日本が米軍に払い続けている「思いやり予算」は、全てをあわせると5兆円をこえます(NHK調べ)。その水準は、他国に比べ、非常に高いことがデータから容易に読み取れます。それがあるから、米軍は基地を日本から引き揚げようとしないのではないかと推測する人もいるほどです。

  そのように、日本は米軍基地を積極的に援助しているわけですが、紛争やテロが頻発している状況の中で、沖縄に基地があることにどのような意味があるのか、考える必要があります。

  抑止力という言葉がよく持ち出されます。

  しかし、その抑止力とは、そもそも何なのか。基地が何に対する、どのような抑止力として設定されていて、現実的にどのような効果を発揮しているのか、よく分かりません。そして、沖縄の米軍基地はアメリカの戦略に利用され、抑止ではなく、攻撃のために使われています。先ほども指摘したとおり、沖縄の米軍基地から、ベトナム、あるいはアフガニスタンやイラクに向けて戦闘機が飛び立っているのです。

  そういう基地なのだから、敵にも狙われます。いざというとき、基地があれば本当に安全といえるのか。第二次世界大戦末期、沖縄で地上戦を繰り広げた日本軍は、民間人を守ることなく、逆に戦争へと巻き込みました。

  平時であっても、米軍基地が経済的に沖縄を助けているという指摘があります。しかし、沖縄元知事・大田昌秀はそういった言葉を否定します。

「1960年代前半頃までは、基地収入は、沖縄が外部から得る収入の約60%を占めていました。ところが、今では、観光産業から得られる収入が大幅に増えていて、基地収入は、外部から得る収入のわずか5%ほどに激減しているのです。しかも基地を民間が利用すれば、雇用も確実に10倍は増え、所得も場所によっては100倍から200倍も増えるメリットがあるのです。(JanJan大田昌秀・元沖縄県知事が自ら調べた沖縄戦の証言を聞く)」

  むしろ、基地が、沖縄の足かせになっているといえます。

  今、日本国全土のうち約1%に過ぎない沖縄県の中に、日本にある米軍専用施設のうち約75%が集まっています。

  だけど、もしも、基地が日本のためにあるのだとするならば、それは日本全体で引き受けるべきであり、基地の沖縄以外への移転を考えるのが妥当です。

  「基地だったら、沖縄に」というふうになってしまうのは、一種の差別といえます。もしも、誰もが米軍基地を受け入れられないとするならば、それをどうして、沖縄には押し付けられるのか。妙な話です。

  まずは、自分が住んでいる町に米軍基地があったとき、どう感じるだろうか、と誰もが想像してみないといけないのです。






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